身体障害者岡下俊介の戯れ言ブログ

元IT系社長だった身体障害者岡下俊介の戯れ言ブログ

人間の生き方

人間にとって死ぬことより怖いこと

投稿日:

人は死を恐れます。
宗教なども全て死への畏れが根源にあると思う

人間にとって死ぬことより怖いこと

それは孤独だと悟りました。

これは僕の心が弱いだけかも知れませんが

去年、半身麻痺の障害を負って、病院からら初めて自宅に戻ったとき

私は50mほどしか歩けませんでした。

自宅では昼間ソファーに座っていました。

自力でどこかへ行くことができませんでした。

左半身には猛烈な痺れ・・

家内と息子が外出したときでした。

突然強烈な孤独感に襲われました。

自力ではどこにも行けない。。

この孤独感はたぶん味わった人にしか理解できないでしょう。

孤独感のもう1つの原因は、自分が何の役にも立たない人間になってしまったという思いでした。

「放置されている感」というのが正しい表現でしょう。

これは辛かった

心の生き地獄のようでした。

生まれて初めて

死んだほうがマシだ・・と

本当に・本当に、本当に思いました

「無理やり現代医学に生かされているだけ」と言う感じでした。

人間にとって孤独ほど恐ろしいものはありません。

誰ともコミュニケーションが取れない・・これは恐怖です。

喧嘩さえも、、

喧嘩できる喜びであり、生きている実感になります。

孤独は喧嘩さえも許してくれません。

昔の刑務所で狭い独房に長期間入れられると発狂すると聞いたことがあります。

これは本当だと思います。

そんな思いを経験した去年。。

僕は今、本当の意味で「死」が怖くありません。

正直怖いものがなくなっています。

僕は元来遠慮がちな人間でした。

でも今は良い意味でも、悪い意味でも遠慮がなくなりました。

何を言われても怖くないのです。

怒られるよりも、けなされるよりもコミュニケーションが取れない方が怖いのです。

分かるかな?

誰にも分からないだろうな。。この気持ち・・

生き物の脳は外部からの刺激(音・光・匂い・触覚等々あらゆる感覚)を
完全にシャットアウトすると死ぬといいます。

僕は思います。

人間からコミュニケーションを完全にシャットアウトすると、その人間は自殺するでしょう。

それほど人間にとってコミュニケーションは重要なものだと思うのです。

投稿者プロフィール

岡下俊介
岡下俊介代表
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年個人事業主のプロコーチとして再スタート
現在、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」

現在、個人事業主として屋号セブンシーズネット代表
【事業】
海外向け日本刀ショッピングサイトの運営
ネットマーケティングコンサルティング
コーチング講座

-人間の生き方

執筆者:

関連記事

no image

痛みと痺れが意欲を削ぐ

今日も朝から左半身痛みと痺れが酷い・・ これだけ毎日酷いと意欲まで削がれてしまう こうなってくると左半身はもう生きるのに邪魔になるだけ 無い方がまだマシ いっそバッサリと日本刀とかでやってほしいと思っ …

no image

日々是新たに・・とは辛いものだ

日々是新たに・・ とは言うことば、 一日、一日を新たな気持ちで 生きようという意味だ 中国の論語には以下のようにある 司馬温公はこれについて次のように述べている。 「君子の学は、必ず日に新たなり。日に …

no image

障害を乗り越えるために

僕は日々この半身不随という障害を 乗り越えるために日々自分なりにリハビリをしているけど 一方は「これで十分だ」と考えるが もう一方は「まだ足りないかもしれない」と考える そうしたいわば紙一枚の差が 大 …

no image

苦しいからこそ、、

毎日が苦しい、 不自由で、、 やりたい事もロクにできない 大した事ではない、 単に左手で御茶碗を持って ご飯を食べたいだけ、、 左手で御茶碗を持ってお茶漬けを もう一度食べたい 別に遠方へ旅行したいわ …

no image

笑って死ねるか

死ぬ瞬間、僕は笑えるだろうか 笑えるということは、悔いがないということである。 たとえ、他人よりも苦しい人生だったとしても 酷い目に合った人生だったとしても、生き方に恥じるところがなければ 笑えるので …