身体障害者岡下俊介の戯れ言ブログ

元IT系社長だった身体障害者岡下俊介の戯れ言ブログ

人間について

感覚障害脳卒中患者の戯言:世界は自分が中心~霊界は存在しない~魂も存在しない

投稿日:

世界は自分が中心であると思う

これは以前の記事でも書いたことがあるけど

僕は健常者の頃からそう感じていた。

それは決して自分中心とか利己主義とか

増してやヒトラーや先日民衆によって殺された

カダフィ大佐のような独裁者のつもりでもない

感覚なのである。

そしてその感覚は脳卒中により感覚障害というものを

患ったことにより確信に近いものになった

それを説明するためにまずは感覚障害というものがどういうものかを

もう一度説明しなければならない

僕は重度の感覚障害である。

例えば

混雑したショッピングセンターですれ違った人の肩に

自分の感覚のない左肩がぶつかったとき

僕の右肩が前に出てよろける。

でも

なぜよろけたのか全く分からないのだ。

透明人間にでもぶつかった感じ・・・

でもないのだ

そもそも左肩もぶつかった感覚さえないのだ

もし感覚があれば

たとえ透明人間であっても「ぶつかった感覚」は

「左肩に存在」する

その感覚さえ「存在しない」のだ。

そこには「何もない」のだ。

だからなぜよろけたのか全くわからない

目で左側を見ると左肩が人にぶつかっているのが「見えて」から

はじめて左肩がぶつかったのだと認識するのだ。

それまでは「何の感覚もなく、何も存在しない」のだ。

感覚障害とはこういう感じである

たぶん健常者の方には想像すらできないと思う。

「感覚がない=存在しない」なのである

いや

「感じない=存在しない」なのである

もうひとつ事例を挙げてみよう

例えば電車に乗って座っていて横に座っている女性が

居眠りをしてこちらに倒れてきたとする

男性なら誰しも経験があるとおもうけれど

女性の肩が自分の肩に寄りかかって来るのは悪くない感触である(笑)

あの柔らかい女性の肩の感じ・・

でも僕は何も感じないのだ。

ただ自分の身体が無意味に横に重力のようなものを感じ倒れていくのだ。

女性の肩の圧感すら感じないのだ。

僕にとって女性の肩は存在しないのと同じなのだ。

女性の肩が存在しないだけでなく「僕の左肩への圧迫」さえも存在しないのだ

こういうとき僕は少し悲しくなる

なぜなら普通の人間ではなくなってしまったんだなと感じてしまうから・・

そう考えるとこの世は自分が「世の中のものは感じているからこそ存在しているに過ぎない」

と思うのだ。

もし、脳が死んで「脳死」して全ての感覚が無くなってしまったら・・

全ての存在は消えることになる

つまり世界は消滅するのだ。

そういう意味で世の中は自分が中心であると思うのだ。

通常は自分の感覚で感じている「感覚と存在が一致しているだけのこと」で

もし自分の感覚と存在が一致しなくなったときそれは「幻覚」になってしまうのではないか

ここ数年「スピリチュアル」といかいう流行りの分野?で守護霊が見えるとかいうE原とか

いう役者?がいるけれど

彼は単に感覚と存在が一致しなくなった人ではないかと

思っている

単に「幻覚」を見ているだけではないのかと思うのだ。

もしくはエンターテイメントのための大嘘か

実際に半世紀以上も前にアメリカの脳の実験で脳の側頭葉のある部分に微弱電流で刺激すると

「三途の川が見える」とか「神が見える」とか「死んだ肉親が見える」とか

或いは臨死体験のように自分を天井から見ている幻覚をみることが化学的にわかっている。

そもそも死後に霊とかいいうものになって子孫を「見」守ることができるのなら

「見る」という感覚があることになるではないか。

「見る」という感覚とは脳の機能だ

死んで「何も存在のない状態」のどこに脳の機能があるのか?

という根本的疑問が残るではないか

だから僕は霊の存在も魂の存在も完全に否定している

死ねば無である

人情として、死後魂なるもの残り、見守ってくれていると信じたい気持ちは分からぬでもないけれど

死後、自分だけひとり魂とか霊という「存在」としてだけ残ってしまい

生きている親族とコミュニケーションが取れないなんていうのは孤独の極みではないかと

つまり人は無から生まれ、死ねば無になるだけ
魂も何も残らない
ましてや守護霊などと言うものは論外

こんな事をいうと墓参りや供養などと言うものさえ無意味なものになってしまうではないかと批判されるかもしれないけれど、たとえ、死後魂も死者の霊が残らなくても、その人が生前に残した生き様が「教え」となって子孫に受け継がれていくのなら、先人への感謝の意味で供養や墓参りをする事は良いのではないだろうか
人間以外の他の生き物は遺伝子という形、つまり本能でしか受け継がれていけない中でこういう形、つまり言葉で子孫に教えを受け継いでいけるのが唯一人間だから、

などと思うのは僕だけかな・・

今日は脳卒中患者の戯言でした。。

投稿者プロフィール

岡下俊介
岡下俊介代表
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年個人事業主のプロコーチとして再スタート
現在、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」

現在、個人事業主として屋号セブンシーズネット代表
【事業】
海外向け日本刀ショッピングサイトの運営
ネットマーケティングコンサルティング
コーチング講座

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