というか、それまで持っていた価値観を捨てさせられた。
ここで言う価値観とは人が皆大なり小なり持っている
自分が自分であるための誇りとかプライドのようなものだ
人には誰しも大なり小なり人に自慢できる
自慢しなくても、「こういう事が好きである」とか
「こういうことができる」という「自分らしさ」を持っていると思う
僕それが水泳であり、スキューバダイビングであり
多少なりとも人より体力があり、少々のことではバテない
とか
或いはアウトドアスポーツが好きである
というような、
今考えるとどうでもいいような事だったと思う
でも当時(倒れる前)は僕にとってかなり大切なプライドであり
「誇り」のようなものだったらしい
「らしい」というのはそれらすべてができなくなって初めて気が付いたからだ
今考えると(生きるたために)どうでもいいような事だけど
このような自分の誇りとかプライドを失わさせられるという事は
「あるべき自分」が死んでしまったような強烈な苦しみだった
「自分が自分である」ことができなくなってしまうということは
本当に辛いものだ
例えば他にも僕は「父親」でもあったから息子(男)とは
ある程度の年齢になったら「男と男の遊び」をやりたいと
心のどこかで思っていたようだ。
だから息子とキャッチボールやサッカーなどで遊んで」やれなくなった
(実は自分が息子と遊びたかっただけなんだけど)
それが「二度とできない」
そのことが死ぬほどつらかった
これもある意味、父親としてのプライドであり、誇りなのだと思う
女性の障害者で家事ができなくなってしまった事に対して
非常に苦しくなるらしい
その気持ちも分からなくはない
子供にお弁当を作ってあげられなるとか
夫の身の回りの世話(掃除・洗濯など)をしてあげられなくなる
ということは
自分が自分であることを失ってしまったに等しいのではないだろうか
これが「価値観を変換させられるということ」だと思う
よく価値観の大転換をしなければならないとか言うけれど・・
価値観を変換するということを成し遂げるためには
自分が生きるために、ある意味拠り所にしている(或いはしてきた)
プライドとか誇りを棄てなければできない事だと思う
だからそんな簡単なことではないと思う
僕を含めて障害を負った人のように強制的価値観を変換させられた人以外に
自ら自分の意志で価値観を変換できる人間なんていないのではないだろうか
だから障害者になるということはその人がその人であるためのプライドや
誇りといったものを捨てさせられるということが起こり、
手足などの身体的機能が不自由になるだけでの事ではなく、
もっと、もっと、もっと人の心に深い傷をわ負わせるものだと僕は思う
以前の自分を思い出しながらこの4年間の心の葛藤をも思い返し
そんなこと今日考えていた
投稿者プロフィール

- 代表
-
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年個人事業主のプロコーチとして再スタート
現在、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」
現在、個人事業主として屋号セブンシーズネット代表
【事業】
海外向け日本刀ショッピングサイトの運営
ネットマーケティングコンサルティング
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