身体障害者岡下俊介の戯れ言ブログ

元IT系社長だった身体障害者岡下俊介の戯れ言ブログ

人間の生き方

無私無欲について

投稿日:

前の記事のコメントに無私無欲についての僕の考えを教えてくださいとありましたので、
無私無欲について書いてみたいと思います。

僕が無私無欲について書くのは、自分自身が無私無欲になりたいだからです。
なぜ無私無欲になりたいのか。
それは非常に簡単です
「苦しみから逃れたい」
ただそれだけです。
僕は脳出血の後遺症で左半身が運動麻痺していますが、
脳卒中の後遺症は100人100様です。
僕の場合は運動麻痺以外にも強い感覚異常(たとえば水が痛いと感じるのです。水のシャワーはまるで針のシャワーであり、ゲゲゲの鬼太郎の毛針攻撃を向けているような感じです)と中枢性疼痛という四六時中麻痺側の左半身に痛みと痺れを感じ続ける後遺症が残っています。
これは麻痺した左半身が四六時中痛みと痺れがあるのです。これは耐え難い苦痛です。
そしてこの脳卒中後の中枢性疼痛というものは効果的な治療法がありません。
つまり延々と痛みがしびれが続くのです。
当初この痛みと痺れのせいで精神的に参っていました。
いつまで続くのか全くわからない。
これが死ぬほど苦痛でした。
たとえば骨折をして3ヶ月痛みを治癒するというのであればいくらでも我慢します。
3カ月なんてほんの一時のことですから、、でもこの中枢性疼痛というのはいつまで続くのかわからないのです
中枢性疼痛というものが存在することが発見されたのは
実際に、ドイツで延々と続くこの痛みと痺れに耐え切れず、命を絶った患者がいたことから
そういう痛みがあるということが発見されたそうです。

僕は、この痛みと痺れだけでなく、やはり運動麻痺によって健常者が普通にできることが
出来なくなったという精神的辛さから逃れたいという思いから無私無欲になることができれば楽になるのではないか
と考えたわけです。非常に単純で苦しみから逃れたいそれだけです。
人間そう簡単に無私無欲になどと出るものではありません。
だからこそ無私無欲とは、僕にとってそうなりたいという僕の願望です。
いわゆる涅槃の境地というものです。

リハビリをして今ではある程度歩けるようになりましたが、それでも麻痺側の手足は鉛のように重く、
「歩く」ことすら辛いです。よく家内が「今日は1日外に出てないからちょっと散歩でもしてきたどう?」
といわれるのですが、僕にとって「散歩とは「散歩」という言葉からでてくる気軽なものではないのです.
たかが「歩く」ことが重労働なんです。
「ちょっと散歩に行ってきたら?」という言葉は僕にとって「ちょっと重労働してきたらどう?」という響きに聞こえるのです。
正直言って毎日が辛い。家の中で立ったり座ったりすることさえ重労働で辛いわけです。
こんな毎日はもうイヤだと思ってしまうこともしばしばあります。
こんなに毎日が辛いのなら、いっそ死んでしまいたいと思うことも過去に沢山ありました。
頑張って築き上げた小さな会社も破産させました。同時に自己破産もしたので去年の春ごろは失ったものも非常に多く、
無収入の状態でした。未来が全く見えませんでした。体の不自由で生きて行く上で生き甲斐のすべてを奪われ、
何の楽しみ希望もないという状態でした。
こんな精神的苦痛からも逃れたいという気持ちから無私無欲というものを目指したいと思うようになりました。
涅槃の境地にたどり着けば、一切の苦痛から逃れることができると釈迦説いています。
全ての煩悩を取り払うことができれば涅槃の境地にたどり着くことができると・・・
インドでは性的欲求さえも煩悩と捉えています。
針で刺されたときの身体的な痛みさえも煩悩があるから苦しむのだという。
そしてその煩悩を排除しようとしていわゆる焼け石の上を歩いたり、針のむしろの上を歩くというような苦行が行われます。
そしてそのことが今回脳卒中によって理解できたような気がしました。
脳に関するさまざまな書物を読んだ気が痛みのゲート理論というものを知りました。
体を傷つけられたりしたときの身体的な痛みも脳の働きによって痛み脳に伝える回路のゲートをシャットダウンして
痛みを感じなくすることができるというものです。
つまり(心=脳)の持ち方によって、物理的身体的痛みもコントロールできるというのです。
だったら、無私無欲になることで精神的な苦痛はもちろん身体的な苦痛さえも感じなくすることができるのではないかと思ったのです。
だから無私無欲になりたいのです。
決しての自分無私無欲になれているわけではありません。

最近、僕は身体的な苦痛や精神的な苦痛に見舞われたとき「滅私」「滅私」と唱えるようにしています
少しは無私無欲に近づけているかなと感じることもあります。

本当の無私無欲になるための最も簡単な方法は「死」だと思います。
死んでしまえば、自我も肉体も存在しなくなります
そんなことを考え一時は命を絶つことも考えた時期もあります
でも今の僕はやっとのことで生きることの意味を見出し始めているので、生きたいと思っています。
だから生きながらにして無私無欲の境地に辿り着きたいと考えています。

ほとんど毎日そんなことを考えながら生きています。
そんな時テレビ番組で「いのちを大切に」というようなテーマを見たので
そもそも「命」ってなんだろうと思って昨日のプログ記事を書いたわけです

投稿者プロフィール

岡下俊介
岡下俊介代表
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年個人事業主のプロコーチとして再スタート
現在、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」

現在、個人事業主として屋号セブンシーズネット代表
【事業】
海外向け日本刀ショッピングサイトの運営
ネットマーケティングコンサルティング
コーチング講座

-人間の生き方

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