身体障害者岡下俊介の戯れ言ブログ

元IT系社長だった身体障害者岡下俊介の戯れ言ブログ

人間について

人間の本性って

投稿日:

僕が脳出血で倒れて障害者となってしまった初期時期に恥ずかしいことですが、
僕が障害者になったことが原因によるで色々なもめごとが親族の間で起こりました。

その時、人間の本性とはこんなものなのか。
いざというときにこんなに醜い姿を見せるものなのかと感じたものです。

シェイクスピアの小説は人間の持つ醜い本性をえぐり出しているといわれます。
またアンデルセンの童話は人間の本性に迫るような話が多いと聞きます。
人間が本来持っている醜い欲などを描いているとも聞きます。

でもそれが本当に人間の本性なのだろうか

抑えきれない醜い欲求などというものは、単に動物の本能ではないだろうか
いざというときに自分を犠牲にできないとか、自分だけを守ろうとするとかいう行動は
「人間の本性」というものではないと思う。

それは動物が持っている本能にすぎないのではないだろうか

「自己防衛本能」である

でもそれは人間の本性が全く異質のものだと思う。
人間は、そういった抑えきれない欲求をなんとか抑えようと葛藤する
それが人間の理性であり、人間である所以ではないだろうか
人間は完全ではない。だからそういった本能的欲求を抑えきれない時もあるだろう。
そういう時があるからといってそれが人間の本性だとは思わない。

自分が「善」であろうとする心、そういった葛藤があることこそが人間の本質だと思う。

だからこそ人間は犯罪を犯した時に、後悔の念に駆られるのだと思う。

人間以外の動物で「後悔の念」というものを持つ動物が存在するだろうか
後悔をする心こそ、人間は皆本来善でありたいと思う心が存在する証であると思う。
人間の本性とは「本能的なものと闘い理性的であろうとする心であると思う。

本能的な恐怖、怖れなどとの闘いや、それに打ち勝とうとするを葛藤なども人間にしかできないことだと思う。

打ち勝つことができずに人を殺めてしまったりすることもある。しかしそれが本性とは思わない。

たとえ万が一人を殺めてしまったとしても、それに対して悔いるからこそ人間だと思う。

「(本能的欲求に負けてしまうことがあるけれども)善でありたいと葛藤する心」

これこそが人間の本質だと思う。

その気持ちがある限り、「イザというとき」に行為として醜い行為をしてしまったとしても、

それがその人の本質なんかではないと思うし、そうであってほしい。

投稿者プロフィール

岡下俊介
岡下俊介代表
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年個人事業主のプロコーチとして再スタート
現在、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」

現在、個人事業主として屋号セブンシーズネット代表
【事業】
海外向け日本刀ショッピングサイトの運営
ネットマーケティングコンサルティング
コーチング講座

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